つくり続ける

一女一男、子育て中の備忘録

からだを作る 5. 三回目の不妊治療

妊娠していることが分かってから、同時に二人目のこともずっと考えてました。

四人兄妹で育った私は家族多いほうがいい。性格上、一人っ子の子育ては過保護&過干渉になると容易に想像つき、母娘お互いのためにならない。幸い、凍結保存している受精卵が残っている。

娘が生まれてからもその気持ちは変わらず、二人目のことをずっと考えている自分がいる。後悔したくない、結果はどうであれ、やれることはやりたい。

クリニックから凍結保存している受精卵について更新手続きの連絡が届いた時、初めて夫に二人目希望の話をしました。夫は娘の時の難産で躊躇していましたが、二人目は帝王切開で計画出産になるからと説明し納得してもらいました。

女性の体は一度着床すると流産したとしてもその後1年くらい妊娠しやすいと昔聞いたことがあって、数年不妊治療して出産した友人も産後1年くらいで自然妊娠しました。その話を信じて、娘の授乳を1年2ヶ月で卒乳し、早めに不妊治療を再開することに。

二人目の不妊治療に通い始め、初めてクリニックの書き込み自由のパソコンを閲覧しました。私の場合上手くいかなければ高齢のせいにしてしまいますが、年齢関係なく不妊に悩む女性が沢山いて、体外受精も予定通りに進まない事があると知りました。

私も受精卵の解凍が失敗したり、受精卵移植を何回か繰り返し、最後の2個目でやっと着床。結果が分かった時思わず「ありがとうございます」と担当の先生に握手してしまい(笑)先生は呆気にとられていました。

その後やってきた悪阻がとても辛く、受精卵一つ残っていましたが3人目は考えないよう記憶にしっかり刻み込みました。出産すると辛い記憶がなくなるので、、、。悪阻の時期が終わるととても順調で、母にも「妊婦に見えない」と言われるくらい娘と遊びながら元気な妊婦でした。

帝王切開の計画出産は安心して臨みましたが、高齢のためか、虚弱体質のためか、体力消耗し産後の回復がとても遅かったです。産後、無理は禁物と決めていたので家族に頼りっぱなしでした。

今現在、姉弟二人、仲良く遊んだりケンカしたりを繰り返しの毎日。賑やかな日々を過ごせていること、二人が元気に健やかに成長していることに心から有難く思います。我が家に来てくれてありがとう。

つづく(あとがきをもう一つ追加)

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3つの達磨、プレゼントで頂いて自然と集まりました。娘が生まれた時に赤い達磨の目に●、息子が生まれた時に白い達磨の目に●を入れました。3人目が生まれていたら女の子だったのかな〜と思わなくもない。

からだを作る 4. 二回目の不妊治療

不妊治療のクリニックは職場から通いやすくて不妊治療の全てを出来るところを選びました。

最初、先生に「40歳過ぎてから不妊治療?遅い。今まで何をしていたの?検査ひと通りやったら、すぐに体外受精だね」とはっきり。「体質改善してました」との返答も聞き流されたような。でも焦る気持ちや落ち込むことなく、自分のペースでやれそうと強く思ったのを覚えています。

検査後、体外受精し受精卵は5、6個出来たと思います。幸運にも1回目の受精卵移植で着床。つわりがとても辛く、初めての妊娠で不安いっぱい、安定期過ぎるまでとても長く感じました。その後順調に進み、たまにお腹が張ったりしましたが、体重、血圧も安定、ギリギリまで仕事を続け元気な妊婦でした。ちなみに出生前診断はやっていません。

余談ですが、受精卵移植後、スーパーで買い物した時「会計777円」まさかのフィーバー!神様がついていたかもしれません、そう信じています。

自分が高齢だと一番実感したのは出産の時です。予定日過ぎてギリギリまで待ちましたが生まれる気配なく陣痛促進剤をしました。和痛分娩を希望し麻酔を打っても全然効かず、その後、自然分娩→吸引分娩→帝王切開となり長時間かかって何とか無事出産。分娩中に気を失いそうになり、すぐに赤ちゃん抱けないかもと色々思いが過ぎりました。夫も義母もずっとそばに居たのでかなり疲労したそうです。

憔悴した私とは反対に元気な赤ちゃん、娘が誕生しました。担当の先生曰く「出産のフルコースだったね。今年の難産TOP5に入ると思うよ。」と。産後、出血多量で貧血の数値高く、母子ともに入院長引き、退院後も一ヶ月検診まで体力なくてあまり動けず娘の世話しかしてなかった記憶です。

「出産は命懸け」と聞きますが、一昔前の話ではなく今の時代でもそうなのだと身を持って体験しました。一人一人出産まで色々あると思いますが、本当に命懸けです。

こんなに大変だった出産ですが、産後病室で初めて目が覚めた時「もう一人産みたい。」と密かに思っていました。

つづく

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娘の出産祝いで夫の知り合いから頂いたバースデープレート。見るたびに幸せな気持ちになります♡出生体重3✽✽✽kgは御愛嬌♡

からだを作る 3. 漢方の体質改善

不妊治療を止め、漢方のおじいさん、鈴木先生のところに通い始めました。漢方を処方して頂きながら、1時間くらい先生の話を聞いていました。

私の体質は生まれながら虚弱体質で肝臓がとても弱い。東京に住んでいた頃、職場の皆が風邪引いているのに私一人元気だったのは身体に風邪引く余裕と体力がなくて自転車操業のようにギリギリ状態だっただけ、1年に一度の風邪は身体をリセット&メンテナンス出来るから良し。子宮は悪くなくてベースとなる身体が弱いから生理がこない。生理が3カ月継続してくるようになったら不妊治療始めたらいい。元々虚弱体質だから、どんなに体質改善しても強靭な体にはならない、それなりの健康体にしよう。健康診断など検査結果の細かい数値は気にしなくていい。元々医者だった鈴木先生の話はとても勉強になりました。自分でも東洋医学系の本を読みました。

それにしても、私はそんなにも弱い身体だったのか。

飲んでいた漢方は、当帰芍薬散加附子、当帰芍薬散、附子理中湯、温経湯、人参當芍散、桂枝人参湯、桂枝茯苓丸、四物湯、 柴胡桂枝乾姜湯など。漢方以外のものも飲みました。その時の体調を見ながら、3、4種類の漢方を何か月か続けて、次に組み合わせを変えて飲むという感じでした。

「体が資本」子供を産む産まないに関わらず一生お付き合いしていくもの、時間とお金をかけて体質改善に勤しみました。しかし、いざ始めてみるとなかなかゴールが見えず。2、3年で終わると思いきや、いつまで経っても生理周期が3か月続くことなく2か月で止まるを繰り返し、その間に妊娠確率が低くなる37歳も過ぎました。友達数人から「不妊治療を早く始めたほうがいい」と言われたりして自分の気持ちも揺いだり、とても長く感じました。

結局5、6年通い、40歳も過ぎとうとう41歳になり、やれることは全部やって後悔のない人生にしようと不妊治療を再開しました。今度は夫にもしっかり伝え協力をお願いしました、、、これ大事。

つづく

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父方の祖父作の木工細工。老後、木でお城や日本家屋を制作して過ごしていました。今見ても細かな細工に感心します。祖父母の家を整理する際、一つだけ我が家に連れてきました。それを我が家の神棚にしています。

おじいちゃん、いつもありがとう。

からだを作る 2. 一回目の不妊治療

結婚して数年経ち不妊治療のために婦人科に行きました。検査結果、多嚢胞性卵巣症候群と診断され、子宮内膜ポリープも見つかりました。

日帰りで子宮のポリープ切除の手術をして、生理不順なので薬で生理がくるようにして、不妊治療の第一歩タイミング法を始めました。

妊娠確率や検査結果など説明を聞き現実を知るのですが、その時点で慣れないクリニック通いと初めての不妊治療でストレスMAXになり、元々不妊治療に乗り気でなかった夫ともギクシャクして会話がなくなり、、、。

そんな時に漢方のおじいさんから「あなたは今不妊治療しても流産繰り返すよ」と言われました。そうですよね、、、納得。このまま続けても結果が出ない気がしたので、漢方のおじいさんのところで体質改善する事にしました。

そういう感じで1回目の不妊治療はタイミング法を何回かやって短期間で止めたと記憶しています。

不妊治療は、覚悟と夫婦の意思疎通が必要だとこの時学びました。

つづく
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この頃陶芸を始めました。一作目の小鉢。何個か割れてしまったけど今も現役で使っています。教室の友達とワイワイ話しながら土をこね作品を作り、全く違うことに集中できる楽しい時間でした。

からだを作る 1. 独身時代〜結婚当初

30代前半で結婚し子供を授かるまでに10年かかりました。その話です。全5回。

1、独身時代〜結婚当初

2、1回目の不妊治療

3、漢方体質改善

4、2回目の不妊治療、妊娠、娘出産

5、3回目の不妊治療、妊娠、息子出産

 

「自然妊娠は難しい。不妊治療が必要。」

結婚前の婦人科検査で先生にそう言われました。毎年の健康診断ではほぼA判定、大きなケガ病気もなく普通に過ごせていましたが、ずっと生理不順で20代後半は寝ても疲れがとれず顔色が悪かった(久しぶりの写真で自分でも驚くほど青白かった)ので何となく覚悟していましたが、やっぱり。

結婚で東京から北海道へ移住、これが大きな転機に。夫の実家が近くに住んでいて、健康にとても意識が高く、その影響で週一回ヨガを始め、プロテインを飲んだり、まずは三食しっかり食事をとり生活習慣が変わりました。

懇意にしている漢方のおじいさんにも健康診断のつもりで全身を診てもらい、そこで初めて自分が生まれながらの虚弱体質だと知り、当時、身体全体弱っていて特に膵臓、その影響で右半身がつっていると言われ、まずは青汁を飲むよう勧められました。しばらくして東京にいた頃から整体でも治らなかった背中の痛みがなくなり、顎関節症も治りました。仕事も残業の少ない定時で終われるような職種を選び、とにかく規則正しい生活を送りました。

少しずつ身体が回復してる、そう感じました。あのまま東京で一人暮らしを続けていたら病気か死んでいたかも、、、自分では気づかなかったけれど身体が疲弊していたのだと思います。

そうこうしているうちに結婚生活2、3年経ち、子供のことを考えるようになりました。

つづく

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結婚は神前式で白の振り袖に義母の嫁入り道具の帯を締めました。夫「やれやれ」と言いたげな後ろ姿。この写真気に入っています。

 

ミニリース作り

公園のイベント「ミニリース作り」に参加しました。去年、大きなリースを作り、ずっと部屋に飾って楽しめたのでリピート参加です。

これが去年の大きなリース。ひたすらアジサイ足して、やりきった感あり。

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今回は直径12センチほどの小さなリース枠。私はアケビ(だったと思う)で出来たリースを選び、アジサイなどのドライフラワー松ぼっくりクルミなど、グルーガンでくっつけました。

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公園内で取れた自然の素材、とても雰囲気あって好きです。

私は下にいろいろ配置したデザイン。

娘は淡い色合いの素材を全体に配置したとても優しいデザイン。

今年は猛暑だったせいか、赤い実のナナカマド不作だったそうです。残念。

折り紙 〜🦇ハロウィン🎃〜

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子供達(主に娘)が折り紙でハロウィンのものを折ったので額装しました。

自分で言うのもなんですが、手先が器用なので紙制作ものはだいたい得意ですし好きです。なので子育て中、子供と一緒にいろいろ作れることが嬉しくて、とても楽しくなるのですが、折り紙と塗り絵はどうも好きになれず。子供が生まれて初めて気づきました。折り紙の本は読み解けないこと多々あり。「中割り折り」が3回連続出てくるだけで混乱し、だいたい挫折。何度も息子に恐竜や昆虫を折ってほしいと言われましたが、ほとんど出来ませんでした。息子よ、ごめん。

塗り絵もきれいに塗れますが、テンション上がらず。

その点、娘は時間あれば、本を見ながら切り絵や折り紙をやっていて、仕上がりもとても丁寧できれい。本人曰く「やっていてとても落ち着く、単純作業が好き」と。塗り絵もテレビ見ながらよくやっています。

息子の折り紙は本の通りに折らず、自分で考えて恐竜や昆虫の形にします。それが意外と上手だったりして驚きます。

そういえば、実母に「お兄ちゃんは紙の中にちゃんと描くけど、あなたは幼い頃から紙からはみ出して大きく絵を描いていたわ」と言われてました。

それぞれ持って生まれた個性のようです。